北習志野にはなぜか西友が2つあります。「北習志野店」と「新北習志野店」です。どちらも30年以上前から存在します。
きたなら界隈の市民はそれぞれ「旧西友(または西友)」、「新西友」と呼んで区別しています。
習志野台商店街の中ほどにある「旧西友」 駅北側の踏切近くにある「新西友」
直線距離で250mくらいしか離れていませんが、他のスーパーを買収したようなものではなく、最初から西友として建設されました。
一部では北習志野最大の謎と言われていますが、話によると、旧西友は小型店の事業部、新西友のほうはGMS(大型店)の事業部と、所属する事業部が異なるそうです。
にしても同じ街に2店展開する理由にはなりにくいのですが、いくつかの要因が重なって実現した可能性はあります。
まず考えられるのは、東西線の延伸計画。
昭和46年の都市交通審議会で東西線の延伸計画が盛り込まれ、昭和48年5月に千葉県と船橋市と八千代市からなる「営団地下鉄東西線建設促進協議会」が発足した時点で、北習志野に東西線が来るという話題が沸騰、西友がこの地での覇権を得ようと動いたと考えられます。
もうひとつは立地。
当時の北習志野駅前には、扇屋と二幸という2つのスーパーがありました。この2店を挟み撃ちして追い落とす作戦だった可能性があります。
当時はまだ車社会にはなっていませんでしたので、徒歩での買い物が主流でした。駅からの帰り道に買い物をする客も、家から買い物に出る客も、より自宅に近い店で買ったほうが重い荷物を運ぶ距離が短くて済むわけです。
宅地の造成を考えても、習志野台-高根台方向への広がりは早かったですが、西習志野-習志野方面は少し遅かった上、高根木戸にも高根公団にも大型店はありませんでしたので、新西友のある場所は絶妙だったと考えられます。
本当にそんな思惑が働いたのかどうかはともかく、実際に数年で扇屋は撤退、二幸もやがて姿を消し、跡には三越が入りました。(日本一みすぼらしい三越との噂でした)
ただ、計算外だったのは、東西線の延伸目当てか、扇屋の隣に長崎屋が進出してきたことで混戦が激化したこと、高根木戸駅前にはジャスコができ、高根台方面の客を持っていかれたこと、東西線の延伸が大幅に遅れたことなどで、思うように集客できなかったようです。
さらに、世間が車社会・ネット社会へと様変わりし、駅近至上度合が薄れたことなどが重なったこともあるのでしょう、東西線の延伸計画が形を変え、96年4月に東葉高速鉄道としてようやく開通しますが、その年の秋に長崎屋、02年三越と相次いで撤退しています。
#きたなら界隈も車社会になり、車だと駐車スペースの充実したマックスバリュなんかのほうが便利と感じてしまいます。
そんなわけで、2つの西友はきたならの覇権を獲得した形になっています。
でも、かつては賑やかだった両店とも疲弊感が漂います。
とはいえ24時間営業化され、遅い帰宅時には便利だと感じますね。
新西友は最近大改装され、家電や衣料品売場も24時間営業になりました。
しかもチラシ競争を始めたので、在庫次第ですが、夜中でも他店のチラシ価格で買えるというメリットは大きいです。
きたならの顔ですので、頑張って欲しいです。
View Comments (6)
現在、2011年1月です。
面白い記事というか、裏悲しい記事ですね。
北習志野の商店街の歴史記事を拝見して、こちらへすんでから凡そ30年、小さかった子供も既に40歳近くで独立してしまい、いまや老夫婦だけの住まい、いろいろと変遷してきました。
特に、三越が撤退してその跡に、「魚次ぐ」が活気ある商売をやっていることが特出しています。
しかし、車社会のコンニチなれど、駐車場が無いのは致命的で、いずれ、衰退に向かうような気がします。緑ヶ丘にある魚次ぐの30%くらい高い商売をやっているし。
それにしても、北習志野の北側商店街は、衰退しつつありますね。クスリのマツモトキヨシが駅ビルに移ったことが、駅前の人どうりが激減したように感じます。
臼井さん、こんにちは。
魚次、がんばっているようですね。
しかし、緑ヶ丘とそんなに価格差があるとは知りませんでした!
「価格破壊」の西友があるのに大丈夫なんでしょうかね?
商店街については、閉店していくばっかりではないところに、まだ期待がもてるのかな、と思っています。
おかしのまちおか、キャンドル、松屋、はなの舞 、と低価格路線の店ばかりですが、この街に見込みがあるからこそ出店してくるのだろうと思いますし。
個人商店でも、安い仕入れと信頼を得られればやっていける場所なのかも知れません。
歴史を知る上で貴重な情報ありがとうございました。坪井町に15年住む私には大変興味があります♪ひょっとこで飲み、西友裏のご夫婦でやられてる焼き鳥屋でのみ・・・。もっと知りたいものです。北習志野。
あの西友2点は魅力でした。
マックがあったりソフトクリームの店が昔はありましたよね!
新西友の地下にありましたねマック!
すっかり様変わりしましたよ新西友は。
地下のテナントは廃し、少し雑貨はありますが、ほぼ全部が食料品売場になりました。
1階に雑貨と自転車と少し衣料品。
2階はセリアとしまむらが大部分を占め、昔からある本屋はそのまま、という感じに変わりました。
たぶん成功です。
ワタクシが行くようになりましたから。(^^;
薬円台です。
長くなります 失礼します。
西友地下 できたて1994年から間もない頃の
売店の
ソフトクリーム。バニラソフトのおいしいこと!おいしいこと。
I~なんとか ? パソコンスクールワードエクセル受講中にもお世話になりました。
サンクスがあったり近隣にチーズトーストの美味しい喫茶店もあったり。
薬円台駅の目の前が改装される2001年以前の
”周辺がまだ野原 小~産婦人科あり
Sh~99あり。主婦~いしわたりがあり”
等々 バブルやバブル崩壊後。
それ以前の戦後ののんびりした寄り道のできる光景だなんだ
小学校から好きな薬円台でした。
70年代の高度経済成長らしい雰囲気の場所は多かった!
船橋市東部には特に。新京成の沿線!
新西友駅ビル以外、マクドナルドは、
駅前にもミスドの場所にありましたりとか。
みんなのたあぼうやけろっぴやらマロンクリームやらを好むサンリオ好きの自分には
神戸ランプ亭のできる前まで
1970年代頃の団地造成の高度経済成長期あたりから2000年前半まであった
(一回ミレニアム位に廃墟としたのかしら?代替え前に。)
サンリオショップだって目をつけて、
数々の公園でデニスはしたりとか、
すぐ目の前が八千代。
習志野・薬円台・飯山満・津田沼・芝山と近い
船橋の中東部として好きで
海神など
船橋競馬場の歓楽街や夏見 長津川 山手の西部の付近 中央部かな
総武本線の市川寄りの付近よりも
居心地があそびやすかったです。