真亀川 〜 荒生(東金市)     エリア2地図

真亀川というやや小さめの川にさしかかります。用水路はここでおしまい。鉄橋を思わせるものは跡形もなくなっていました。
この先に九十九里鐵道最大の遺構といわれている脚橋があります。が、そこまで来て用水路の側道が跡地だという考えは間違っていることに気づかされました。



写真正面のこんもりと盛り上がった部分が線路の土手だったようで、脚橋もこの土手の途中にあるのですが、180度後ろを振り返ると上の写真のように、なんと川の向かい側にはあの用水路がまっすぐに続いていたのです。

・・・と、いうことは、国道126号線東金バイパスから真亀川までの跡地は用水路に変わってしまった可能性が高い、ということになります。
そういえばバイパス付近には跡地らしいものがなかったもんなぁ。


これが九十九里鐵道最大の遺構といわれている脚橋です。レールを支えるための差し渡しを引っかける切り欠きが見て取れます。
幅2mもないこの隙間、小川でも流れていたのだろうか・・・・・

これが最大の遺構というのはちょっと寂しいような気もしますが、ここから先の敷地がほとんど残されたままであることを考えると、それはすごいことだよなぁ、と思います。



比較的新しい住宅が建ち並ぶ一角に出ました。跡地はゴミ捨て場や車の駐車スペースになってはいますが、一目でそれとわかる状態を留めていました。


ここから先しばらくは、とある会社の社有地になっているところもありました。いつか復元するための施策だと嬉しいのですが・・・・・



その先、跡地は砂利道へと姿を変えます。
この先に「家徳駅」があったということなので、ところどころ降りたりしながら車をゆっくりと進めます。単に悪路でスピードが出せないだけだという話もあるが。(^^;)


と思っていたら、舗装道と交差するところで廃屋を発見。「鉄道廃線跡を歩く III」に載っている当時の地図からみてもだいたいこの辺のようです。

ここかなぁ・・・。



舗装道を隔て、廃屋と反対側の土地を見ると先の会社の社有地を示す看板が立っています。よく見ると、その看板のある跡地のほうが土地の幅が広くなっています。


この広い部分にホームや駅舎があったんじゃなかろうか・・・・・当時の地図とも一致するし。
奥行きもちょうど3〜4両分ありました。
よし、きっとここが家徳駅跡地に違いない。
すこし楽しい気分になって先へと進みます。



砂利道が終わったと思ったら空き地になったり道があっても細くなったりして、車では進めない状態に戻ってしまいました。


跡地と交差する舗装道で迂回しながら先へ進みます。このあたりはまったくの荒れ地だったり、田圃のあぜ道だったりと、自転車でも通りづらそうな状況が続いているのでしかたがない・・・。



その後もしばらく田圃のあぜ道が続きます。
前方右の林のなかにお墓があるのですが、入り口に宮澤賢治の句碑があるという看板があったのでちょっと入ってみました。
でもよくわかりませんでしたが。(^^;)

お墓が水田のほとりにひっそりと立っています。向こう側のあぜ道を、その昔九十九里軌道が通っていたのでしょう・・・

さて、鉄道廃線跡を歩く IIIの当時の地図を見ると、見づらいのですがこのあたりに荒生駅があったようです。そしてこの地名は九十九里町まで続いています。もうすぐ東金市も終わりです。


   

撮影:FUJIFILM DS-7

     

 


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