坪井の森と桑納川の記憶
特集:木戸川 ① 源流~さくら公園
特集:木戸川 ② さくら公園~あさひ橋
特集:木戸川 ③ 大穴川合流~三咲川合流
特集:木戸川 ④ 古和釜橋~桑納川合流さらに金堀川合流
特集:木戸川 番外編 神保川の秘密
特集:木戸川 番外編 駒込川を駆け足で
木戸川、2020春
特集:木戸川 番外編 駒込川の秘密
特集:木戸川 番外編 暗渠が続く大穴川① 合流以降
特集:木戸川 番外編 暗渠が続く大穴川② 上流編
特集:木戸川 番外編 暗渠が続く大穴川③ 南大穴川編
特集:木戸川 番外編 暗渠が続く大穴川④ 机上検証編
木戸川に汚染物質が
木戸川に汚染物質が、続
木戸川にキジ、あらわるあらわる~
駒込川は現在、船橋アリーナからはじまり、県道57号・千葉鎌ヶ谷松戸線をくぐって桑納川に合流するところまでとなっています。
その様子は「特集:木戸川 番外編 駒込川を駆け足で」で記事にしていますが、記事中にも書いているようにあんまり面白みのない川で、駆け足で見て終わり、でした。
しかし!
その歴史を紐解くと、なかなかに興味深いことに気づきました。
今回は過去の駒込川にズームイン!してみたいと思います。
1960年の航空写真
ワタクシ、過去のきたなら周辺の航空写真を見る際、中でも1960年前後のものを見るのがとても楽しいと思っています。
ワタクシが1963年生まれで、その直前の様子が見られる、ということもあるかも知れませんが、時代背景的にも東京オリンピックの開催が決まり、国を挙げてがんばろうムードが拡がっていた頃ですので、開発の手がこれから入っていく段階にもなるわけです。
やはり余談を挟んでしまいます。今回の東京オリンピック2020はコロナ対策がんばろうに変わってしまったのが残念でなりません。
いまごろは超盛り上がっていただろうに。唯一よかったと思えるとしたら池江璃花子さんの復活が間に合った!ってなったら最高なんですが。
すいませんやはり戯言でした。どうかこんな戯言無視で池江さんのペースで。ご回復と再度のご活躍を祈念しております。
そしてみなさん、来年、オリンピックできるといいですね。それぞれができることを頑張りましょう。余談でした。
きたなら周辺においては、前原団地が竣工・入居を迎え、高根台団地の造成がまさにはじまっているものの、北習志野の駅や街はまだ影もない段階です。
新京成電鉄の新駅・北習志野駅の開業は1966年。
高根台団地の入居は1961年~。
習志野台団地が1967年~。
現在の街並みができる前が確認できます。
国土地理院の航空写真ですが、写りのいいもの悪いもの、また年代別にも何種類かあります。
その中から写りがよくて、習志野台団地ができる前のものを選びました。
1960年の習志野台を撮影した航空写真、整理番号:KT60ACZ、中心地が習志野台6丁目のものになりますが、この写真の存在に気づいたことで大きな発見をすることができました。
けっこう傾いていたので、左に48度回転修正しています。
傾いてはいたものの、写りはなかなかよいです!
角度と縮尺を揃えた1960年の航空写真と現在の地図を並べてみると、
ご覧ください!!
これまでもたびたび、第一小の東側からアリーナまで続く桜並木は小川が流れていたのではないか、と書いていましたが、この航空写真で完全に裏付けられました。
駒込川の谷津田は船橋アリーナを越え、そこからは畑っぽく見える低地が習志野台2丁目まで広がっていたんです!
やはり駒込川の源流は子者清水、そして周辺の降雨でした。
駒込川支流 かっぱ川
さらに驚いたのは、第一小のあたりから西へ支流が延びていたこと。
地図と見比べると、習志野台出張所あたりで北西に折れ、かっぱ公園あたりが源流となっています。
うーむ、かっぱとの縁はかくも深かったかぁ。
確かに地形的にも新西友の西が分水陵である新京成の線路だし、習志野台商店街と給水塔のある水道局に囲まれ、水が集まる場所にかっぱ公園が位置しています。
ということは~、この支流の名前は~、
かっぱ川
しかないでしょうね~。(^^;
かっぱ本人もまだ生まれてませんが、時空を越えて命名しちゃいます。
当時を知る方がいらっしゃいましたら、もし川の呼び名があったようなら教えていただけますようお願い申し上げます。
碁盤の目だった旧習志野台
さて、あらためて航空写真を見ると、意外にも碁盤の目のように道ができていますね。
しかし現在は、第一小を軸にそこから北側の道路は東に傾いています。東南向きに碁盤の目が作り変えられています。
なぜそうなったのか。
これもやはり駒込川の向きが関係していると考えられます。
畑だった頃は多少の傾斜は影響ないので、区画を重視して農家ごとの利用範囲を明確にしていたのでしょう。
しかし家を建てるとなると、傾斜に対して正対しているほうが造成しやすい上、第一小の北側エリアについては川のある低い方向が東南になるので、日当たり良好な緩やかな雛壇が形成できる、といいことづくめ。
どうせ一から街づくりしていくんだし、やらない手はない、と考えたのではないでしょうか。
習志野台2丁目は高級住宅街という印象が昔からありますが、立派な建物のみならず、駒込川が作り出した地形が一枚噛んでいたようです。
しかし、そうして作り出された街に人が定着しはじめ、北習志野に活気が出てくると、街はさらに広がっていきます。
松が丘や坪井まで行くと狭い道のままところ狭しと家が立ち並んでいます。
世間が商業主義へと走りだし、バブルへと突き進んだ結果と言えるでしょう。
結果、駒込川もアリーナより下流はビターッと家並みに囲まれ、つまらない川になってしまった、ということですね。
それに比べてアリーナより上流部分は、川の流れは弱かったかも知れませんが、なかなか見所のある川となっていた、はずですが、もはや道路の下、です。
坪井谷!!
航空写真を眺めてしばらく感慨に耽ったあと、こんどはその当時の地図が見てみたくなりました。
するとまた、驚きのワードが!
つ、坪井谷~っ!!
駒込川、そしてかっぱ川が流れていた上流域を坪井谷と呼んでいたんですね~。
谷には田んぼを示す地図記号が、北習志野近隣公園の中まで、支流はかっぱ公園の直前まで記されています。
まぁ、谷とはいっても標高差5m以内と読み取れますので、そんなに深いわけではなかったでしょうけど、舗装(といっても砂利道)されていないところはぬかるんでいて通れなかったりしたんだろうと思います。
地図を見ても、航空写真を見ても、谷の部分は碁盤の目の道が作れず、途切れている。
たやすく新たな道を作れない程度には、谷は深かった、ということだろうと思います。
兎にも角にも、駒込川の上流には坪井谷があり、谷の先は二手に分かれ、未来で北習志野近隣公園とかっぱ公園になる場所まで続いていた、ということが、地図および航空写真から明確になりました。
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木戸川に汚染物質が
木戸川に汚染物質が、続
木戸川にキジ、あらわるあらわる~
コメント
坪井谷!感動しました!ここまで調べてくださったパパさんに感動です!
これは1960年頃ですよね?昭和35年。。高度経済成長期に差し掛かる少し前くらいですか?谷津田が存在していたとは。。。二手に分かれて、片方は近隣公園側の方まで続いているのにとても興味をそそられます。確かにあの辺は谷だ。。なんて考えていて思い出したこと!近隣公園って噴水ありましたよね。噴水があったころよく遊びに行っていたんですけど、確かあの公園の中にかつては谷津田だったことを証明するような、水路が流れるエリアがありました(噴水とはまた別に)。今はその水路も噴水なくなっちゃったもけど、昔は親水エリアが公園内に噴水と、その水路と二か所あったのを思い出した次第です。小さい水路はなんか垣根に囲まれて外側からは見れなくて、垣根を入ると「あ!こんなとこに水が流れてる!」みたいなひっそりとしたたたずまいだった気がします。。
きょうこうさん、こんにちは。
感動していただいたなんて最高の褒め言葉でございます~!
高度経済成長は1954年から始まったらしいので、まさに真っ只中。谷津田はあっという間に消え去り、習志野台になった、というところですね。
近隣公園に噴水、ありましたよね。
今は巨大な円形花壇になってますね。
子者清水が公園内のどこだったかがわからないんですが、昔を知る人が公園設置に関わっているとしたら、きっと同じ場所に作るだろうなぁ、なんて想像してます。
水路は噴水の南側にある林の一角の庭園みたいなところのことかと思いますが、ワタクシが子供の頃はなかったので、あとから作られたものです。
その一角は林の中でもいちばん低い場所なので、大雨が降ると水溜まりができていたから作り替えたのかな、と思いました。
ぱぱさん、返信ありがとうございます。
あの水路は後付でしたか!たしかに庭園みたいな感じでした!思い出しました。しかし坪井谷の谷津田って感動です。あのエリアに谷津田があったなんて。。パパさんが子供の頃あそんだ坪井の森の谷津田みたいな雰囲気だったのでしょうかね。。11街区と12街区の間の道を今でもよく通るんですが、
昭和35年当時、あの道も地図でみると存してますよね??(うまく位置関係がとらえられてないかもしれません汗)あの道を僕の住む5丁目方面から下ると谷津田が見えてきたようなアングルだったのでしょうか。。ま、右手側にも中央公園の小高い丘の下に谷津田が存在していたのかと思うと、
当時を知らなくてもなんとなくノスタルジックな心持になります。
そうそう、坪井の森の桑納川のエリアも東図書館、ヨークマートの間の道を進んで下り坂をさらに進んであの感動のエリアが見えてくる懐かしい気持ちがよみがえって来ました。
きょうこうさん、こんにちは。
ほんと、坪井谷にはびっくりしました!
11街区と12街区の間の道は同じ位置にある感じですね。
ワタクシ、中3まで12街区に住んでいましたので、信号の南側は低くなっていたのをよく憶えています。
航空写真で見てもその位置は湿地のように見えますので、位置関係は合致します。
その道から谷津田が見えたかどうかですが、近隣公園の野球場の西の山とか5街区の盛り上がりはもともとの地形が残されていると思いますので、たぶんですがそこに登らないと見えなかったのかな~、と思います。
でも、登ったら野球場じゃなくて谷津田が見える状況を想像すると、なんかワクワクします。
かつては陸軍の土地で何も無かったこのあたりです。
今の習志野台第二保育園地下には中国の要塞のような建物があり陸軍の訓練場になっていましたが調査記録してそのまま埋まっているそうです。
おそらく坪井谷のあったものを団地を作るために盛り土して整地したため東警察署から下りてくる坂の交差点前左側の法面奥に埋まっているのかと。
習志野駅前の北門柱も片方残っていますが、周囲にはかつて陸軍のコンクリート高架水槽もありましたしその周辺までマラソン道路からレールが何本かあった記録があります。
マラソン道路の周辺はやはり元国有地(高津駅跡)、電電公社社宅になったり大学 高校 病院などになってますね
https://goo.gl/maps/6HEswvF2VtECJsCPA
とか このあたりから大久保駅あたりまで。
習志野自衛隊敷地内を源流とする防衛庁用地 三田川
未だ空き地の細長い防衛省土地(下は元河川の今暗渠下水)
なぜ防衛庁管轄なのか謎なんですが。
https://goo.gl/maps/X9S4RV2dn1qgA8xe9
とか色々あります。
三田川は海に向かって最終的には浜田川となって東京湾まで続きます。
帰ってきた船橋市民さん、こんにちは。
永久堡塁ですね! 旅順の要塞を模して造られたという。
※ 船橋市郷土資料館「絵はがき」より転載
6街区の下に眠っているんですよね~。
三田川については知りませんでした。
防衛庁用地のままなんですね~、すごいな。
池江璃花子さん、東京オリンピック400メートルメドレーリレーの代表に内定、おめでとうございます‼️
今日4月4日におこなわれた日本選手権兼東京五輪代表選考会の女子100メートルバタフライ決勝で池江選手がみごと優勝、オリンピックへの出場権を獲得しました❗
この記事を書いた時点では、やっとプールでの練習ができるようになった頃だったでしょうか。
そこから想定される最大レベルの回復曲線での復活です。
池江選手の頑張りには頭が下がります。
と同時に、東京オリンピック、是が非でも開催しなければならなくなったと思います。
無観客でも構いませんが、海外選手が安心して参加できるような体制を整え、池江選手が正々堂々メダル獲得に向けて挑戦できる環境を用意することが彼女の頑張りに応えることになるのではないでしょうか。
関係者の奮起に期待します。
かっぱ川?
地図を見ると、現在の薬円台公園が源流ではないでしょうか?
今でも大雨が降ると、防災アプリが薬円台公園から坪井方向に警告を出します。
1直線で・・・。
考えてみると、ヨークマートの下から近隣公園に行く道が低くなっています。そこから船橋東郵便局に流れて行くのでしょう。
しかし、現在は薬円台公園の水は飯山満川系統に流入しています。
大昔は成田街道の南側は津田沼川へ。北側は印旛沼へ入ったという記述を見ました。
薬円台の自衛隊官舎跡(新京成電鉄の南側)あたりを起源とする川があります。
これは習志野駅の下を通って飯山満川に流れていますが、これは人為的につないだだけで、本来は印旛沼水系に行っていたようです。
習志野駅踏切が冠水したことがありましたが、この川がネックなのです。無理な角度で水系を越えたのでそれはあふれるでしょう・・・・。
習志野駅の老人センターの東側は坪井に流れるのに、西側は飯山満川ですから。
地形を見るとハッキリわかりますよね。
日下宏さん、こんにちは。
かっぱ川は支流です。
薬園台公園から船橋アリーナに流れていた川(上駒込川とでも言えばいいのでしょうか)に、習志野台第一小学校のあたりで合流していました。
かっぱ川の源流はかっぱ公園(正式名:北習志野第5号公園)あたりです。ここより西側(新西友のあたり)に湧水量がさほど多くない湧水があったものと思われ、そこからの水と周囲に降り注いだ雨水とを合わせ公園あたりから川となっていました。
湧水の多くが流れ出ていた北習志野駅の西側斜面の水は飯山満川を構成していますが、東側はかっぱ川が受け持ち、駒込川へと繋いでいたことになります。
習志野駅の冠水、ありました。継ぎはぎだらけの治水では大雨には対処できませんね。どうせ分水嶺を越えるなら二宮川に流せばよかったのに。