特集:木戸川 番外編 神保川の秘密

木戸川の記事がようやく書き終わりました。

木戸川に合流してくる大穴川、三咲川、また木戸川が合流する桑納川、桑納川に合流する駒込川、金堀川などを見てきましたが、いづれもそれなりに水量があり、川としての体裁を保っています。

その一方、木戸川に合流するはずの神保川だけがなんだかよくわからない状況でしたので、探索してみることにしました。

国土地理院のサイトで昭和初期と現在の地図を比較できるので、表示させてみました。

かつては市道を過ぎてから東寄りに緩やかに曲がりながら木戸川に合流していたんですね。

今は田畑になっていて明確な水の流れはなくなってしまったようです。

でも地下水路(暗渠ってやつ)があってもいいはず。
川の流れがあるのなら。

まずは市道の北側に行ってみます。そこから先には川の流れがあるはず。

地図を頼りに道が右に急カーブした先を探しました。

でもそこは「習志野建材」の入口が。
川など影も形もない。

真ん中にちょっと草が生えているところが川があったところなのかな?

今は暗渠(あんきょ)になったのかも。

でも習志野建材の奥のほうは木が生えているし、両側が小高くなっているから、あそこまで行けば流れが見られるような気がする。

再度地図をよく見ると、ちょうど急カーブのところに細い道があるみたいだ。

で、よく見たらありました。

民家と習志野建材の間に薄暗い小路が。

その民家の塀の横には「金堀坂下」バス停があります。これが目印ですね。

小路に入ってみます。

そんなに薄暗くもなかった。

右に大きめの側溝があります。

まさかこれが神保川ってオチはないよね?

と一瞬思いましたが、水は流れていませんでした。

さらに進むと右は廃屋。

奥は木が倒れかかり、先は薄暗い。

大丈夫かな。

だんだん竹が増えてきました。

ところどころ蜘蛛の巣が張っています。
突然顔にねとーっとくっつかれたら嫌なので、その辺に落ちていた枝を拾い、顔の高さで振りながら進みます。

けっこう奥へと続いています。

後ろのバス通りはけっこうな交通量なんですが、この辺まで来るとだんだん聴こえなくなってきて、風の音しかしない静寂に包まれてきます。

木がたくさん倒れている。危険かも。
注意しながら倒れた木の下を抜けていくと、

急にぱっと視界が開けた空間に出てきました。

右後方を見やると沢が下っていってるのがわかります。
あれが川の流れなのかな。
でもそっちに行くのはためらわれます。
なんか沈んじゃいそうで。
川の流れらしき音も聞こえないし。

船橋市の境界石を発見。
地盤が動いたのか、えらく傾いています。

なんか、いい景色だな。
あんまり人が踏み込んでない感じがいいね。

さらに歩を進めると、折れて垂れ下がった枝の向こうに何やら看板らしきものを発見! そして、

看板の手前にはわずかですが水の流れがあることを確認しました。

これが川??

看板には、国有地、と書いてあります。

先のほうは開けた空間が広がっています。が、道らしきものはない感じ。

船橋市楠が山町42-1、だって。

国有地売却に関する照会、ってことはここ、買おうと思えば買えるってことかな?

いや、下に「だまされないで」とか書いてあるところを見ると、ここを巡っての投資話を持ちかける詐欺でもあったのかも。

それはおいといて、先を見やるとあと少しは進めそうだけど、沢はまだまだずーっと先まで続いているのが確認できました。

これ以上進むなら、普通の靴では厳しそうです。
ずぼっと足がめり込んでも大丈夫な装備が欲しいところです。

夏にはマムシも出そう。

それにね、思っても見なかったすごい自然の中に突如として踏み込んでいくことになった感じで冒険心が沸きあがってきたところに、境界石やら看板やら人工的なものを見てしまい、冷静になってしまったかも。

引き上げることにします。

市道まで戻り、でも諦め切れずに、もっと上流のほうにアクセスしたら何かわかるかも知れない、と思い、Google Mapで調べてみると、上流のほうに出られる道があるようです。

しかし、赤矢印の道に行ってみると、道の入口には鉄格子の門があり閉じられていて入れません。

仕方がないのですぐ隣の道をいちばん奥まで行ってみると、行き止まりの先に沢が見下ろせました。赤星の位置からの光景です。

結局入ることはできませんでしたが、上からでも長大な沢があることが確認できました。
今はともかく、かつては大きい流れがあったのだろうと想像できる光景でした。

ということで、こちらからのアクセスも断念。

————

という感じで、やはりしっくり来ないままでしたが、後日、たまたま雨の翌日に訪れました。そしたら水の流れる音が聴こえるじゃないですか!

音を発していたのはここでした!

雑草にすっかり覆われていましたが、よ~~く覗き込んで見ると、ハシゴ式開渠(かいきょ)が確認できます。

幅1m程の細めの水路がそこにはありました。

これが神保川です。

地図を見ると、廃屋の東側を流れているので確かにここですね。
そか、国土地理院が間違うはずないよね。

道路上には他では見かけないマンホールがありました。

水道のマークと双口空気弁という文字が見えます。

そして道路を渡り、畑のような空き地のような土地の下をくぐって木戸川に合流する、ということですね。

とその土地を撮影したところ、怪奇現象が!!

緑色のゴーストが写り込んでいました。

こんなの普段映らないけどなぁ。

ちなみにXperia XZ Premium SO-04Jです。

まるでこう流れているんだよ、と教えてくれているかのように。

いやその向きじゃないでしょ、って思ったけど、昭和初期の地図ではくねくねしながら東のほうに曲がっていってたわけですから、あるいはこんな感じだったのかも知れない。

特に市道を渡った直後はぐっと東に曲がってたように地図にも描かれています。

ね?ね?

いや、そう思うことにしましょう。水神さまのお告げかも知れないので。

んー、ワタクシ、何か持ってるのかも。
年末ジャンボ、買おっかなっと。(^^;

最後に木戸川に回って合流点を確認しました。

前に見たときはほとんど流れがなかったので本当にここなのか確信が持てなかったのですが、この日は市道のところと同様、ざーっと音を立てて流れ出ていました。

間違いない。ここが神保川の合流点です。

上流から中流、そして下流までのほとんどがベールに包まれた、人を寄せ付けない感の強い神保川ではありますが、ちゃんと雨水を集めて来ることがはっきりしたところでレポートを終わりたいと思います。

————

と、思っていたのですが、自分は市道からどのくらい奥まで歩いて行ったんだろうか、というのが気になり、Googleマップの航空写真を見てみたんです。

そたぶん☆のあたりまで歩いたんだなぁ、と思いながら拡大していくと、なんとハシゴ式開渠(かいきょ)がところどころ途切れながら左にカーブしてずいぶん先のほうまで続いていることに気づいてしまいました。

これ、紛れもない川じゃん!

確かに金堀町の住宅の近くは真上から見ても草が邪魔している感じ。

でももう少し上流のほうなら見られるんじゃないのか?

金堀町の住宅の道から見下ろした時にはまったく見えませんでしたので、今や上流のほうも、もうもうとした草木に埋もれてしまっていて確認できない状況なのかも知れませんが、これだけの距離の開渠(かいきょ)があるのなら、どこかで一部でも見ることができるのではないだろうか…。

そう思うと見に行かずにはいられない。
水神さまがそう思わせているのか。来なさいと言っているのか。
ともかく行ってみるしかない。何かに突き動かされるかのように行ってみました。

地図を拡大してみると、金堀町側、楠が山町側、神保町側から何本か、川に近いところまで行けそうな道があることがわかります。

でも金堀町からは行けそうな気がしない(水神さまのお告げか?)ので、楠が山町から攻めてみることに。

まずは浄明寺というお寺の脇の道を入ってみます。

木戸川を散歩しているとたまに鐘の音が聞こえるんですが、どうやらここみたいですね。

ほどなく舗装路がなくなり、畑の中の土の道に。

道の先に軽トラが止まっていて、農家の方が怪訝そうにこちらを見ているので、(きっと水神さまが行くなと言っているのだろう、)引き返します。

次に少し北の住宅街のいちばん奥まで行ける目抜き通りをずずいと奥まで行ってみます。

ヤマザキパンの店を過ぎ、行き止まりまで行くと、何やら森のほうに歩いて入れる道が。

住宅の影が矢印のようになってそちらを差し示しているようです。

水神さますげぇな!

期待に胸が膨らみます。

GPSではこちら。

入って行くと順調に下って行けそうです。

先のほうにレールのような人工物が見えてきました。

行けるっしょ、これ!

眼前に溝が現れ、その先に水路が。

キター!!!
神保川です。

いぶし銀のハシゴ式開渠(かいきょ)。
下流のほうは少し進むと枯れ草の山に阻まれます。

細い棒に足をかけ、えいやっと渡ります。

まぁ、とても先には進めません。

水はそこそこ湛えています。前日ちょっと雨が降ったからかな。

GPSではこちら。

下流の国有地のときもGPS使うことを思いついていたらなぁ。

ということで、今度は上流に向かいます。もー行かずにはいられない!

神保町側には梨畑かな?がありました。

私有地ですから、神保町側からも入りづらいですね。

鉄に亜鉛メッキを施したような金属で囲まれています。

両側は水草が生えていて、少しぬかるんでいるところもありますが、まぁまぁ歩けます。

でも最後にはだんだんスニーカーが湿ってきました。

次の溝が現れ、その先で川が右に曲がると、先に進めなくなります。

その先には工事現場のようなものと、やや左にケータイ基地局が見えます。

もう上流付近ですね。

GPSではこちら。

今度は溝に沿って住宅地のほうに向かいます。

上がれるかな。

会えて良かったよ、神保川。

そして水神さま。

こちらも人が踏み固めたような道ができています。住宅街に上がれそうです。

わかっていれば、こちらから降りていったほうがすぐ上流付近を見ることができますね。

舗装路からの入口はこうなっていました。

GPSではこちら。

ここから降りていき、川に出て下流方向を見ると、

こんな景色が見られます。

人工的建造物がありながらも隠された自然を満喫できる摩訶不思議な空間です。

ということで、神保川、きちんと川の体裁を保っていることが確認できました。

最後に、さらに上流を確認しに行ってみました。

ケータイ基地局がある通りに出て、平成建設工業のはずれまで来ると、道路に鉄板が敷かれているところがあります。

鉄板の脇を見やると、

どぶです。それもやけにしっかりしたどぶです。

どぶの先を見ると、建設会社の敷地の裏側に曲がったところから、川の様相が感じられる状態になっていました。

その先は、先ほど見てきたいぶし銀のハシゴ式開渠(かいきょ)があることがわかっていますからね。
これが神保川の源流付近と言えるでしょう。

じゃあ道路の反対側はどうなっているかというと、

牧場です。
木戸川の源流付近と重なりますね。

また、県道288号 夏見小室線がすぐ間近にあります。

夏見小室線のこのあたり、神保町は梨園が並ぶエリアでもあります。

梨畑や牧場に降り注いだ雨水が低いほうへと流れた先に、神保川がある。
つまり、ここが源流です。

これで安心して眠れます。
お休みなさいまし。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

『特集:木戸川 番外編 神保川の秘密』へのコメント

  1. 名前:きょうこう 投稿日:2018/12/27(木) 10:39:48 ID:72a88d8e8 返信

    お疲れ様です!神保川探索の記事、大変楽しかったです。
    神保川エリアなんですけど、
    あのエリアってかつては川を中心に左右が田んぼだったんですかね??要は昔の坪井の森みたいに。。パパさんの画像をみて思ったんですが、小路を進んで行って視界が開けた空間の画像がありますよね、なんかその風景が昔の坪井や金堀川の田園風景に通じる感じがして、パパさんがその後進んだ風景も、何となくそんな臭いがするんですよね。東西に雑木林、森、荒れたあぜ道があって湿地風景。。で航空写真で見ると中央に川が流れてる、まさに昔の坪井の森の40年前の風景と一緒。。
    で、神保川エリアの過去の航空写真を見てみたんです。1985年の写真だと神保川の左右に田んぼらしき風景が見られ、1980年、1975年の写真ではまさにくっきりと田んぼが写ってるように見える!ひょっとしたら田んぼじゃないかもしれませんし畑かもしれないです。自分的にはやはり神保川エリアも東西に森を設けた谷津田エリアだったんではないかと思ってます。坪井に城があったみたいに楠が山にも城があったみたいです。城の付近には谷津田が存在する意味があったり??神保新田という名前のエリアもあったみたいです。
    資料があまりないのではっきりしませんが
    どうでしょうか。。

    • 名前:きたならぱぱ 投稿日:2018/12/29(土) 12:25:13 ID:d3db11f97 返信

      きょうこうさん、こんにちは。
      航空写真見てみました。

      60年頃のモノクロのを見ると、確かに田んぼっぽいですね~。
      自分が見た感覚でも、田んぼがあったのかもなぁ、と思うところは部分的にありました。
      うん、たぶんあったんでしょうね。
      ただ、坪井に比べると谷の幅が狭い感じで、場所にもよりますがざっと半分くらい。そのためか坪井のようなあぜ道がなく、散策しづらくて田んぼの両側に斜面が迫っているような感じだったのではないかなぁ、と思います。
      それに、いまだに人里離れた感が漂っていて、そもそも人が分け入って来なかったんだろうと思いました。

      高根台・習志野台から広がった宅地化で、早いうちに宅地に飲み込まれてしまった駒込川・大穴川・三咲川、当時ちょうどいい近さで遊べた坪井の森、ときどき氾濫して宅地化を阻み、現在ちょうどいい具合に工事の手が入れられた木戸川、という分かれ目になったのかな。

      城、という観点も興味深いですね。
      米が取れる場所だから豪族たちが城を構えて統治する、ということはあったでしょうからね。
      となればなおさら谷津という谷津はことごとく田んぼに開拓するでしょうね。

      あと、上流付近は必ず梨園がありますね。
      これは明治時代の政策だったようですが、初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実ってやつですね。
      水気と水はけが程よい地域だからこそ選ばれていったしいまも続いているんだろうと思います。
      でも習志野原は軍用地として違う道を歩んだかな。
      でもでも、日大の坂を降りて橋を渡り、あぜ道を過ぎてさらに東に進むと、砂利道が右にクランクしていました(いまも舗装されて残ってます)が、そのあたりは小規模でしたが梨畑っぽい感じでした。

      そんなこんなを絡めて考えると面白いですね~。