特集:木戸川 番外編 暗渠が続く大穴川③ 南大穴川編

 

さて、変形十字路に戻って来ました。
こんどは南大穴川を探訪していきましょう。

あらためて見ても両側の側溝が大きめです。

引き続き道路の左側は土地が高く、よく見ると縁石も妙に大きめに作られています。

もしかすると川を通すことも想定して頑強な縁石を用意したようにも感じられます。

そうでなくても谷津田があったわけですから、地盤沈下や斜面の崩れを防ぐために必要な措置だったのかも知れません。

一方、右側の家は道路に対してフラットです。
谷津田は道路を含めた右側に位置していたことがわかります。

途中、左右から脇道が現れますが、左の脇道はすべて勾配のある上り坂、右は緩い上り坂となっていて、同じような状況が大穴小学校の裏手にさしかかるまで続きます。

緩やかに道が右に曲がります。
遠くに進入禁止の標識が見えてきたところで、左手に変わった階段が現れます。

階段の右横に煙突のように突き出たマンホールが。

さらに階段中央のけっこうな傾斜の斜面にもマンホールの蓋がへばりついています。
こんな斜に構えたマンホールには、はじめて出会いましたよ。

大地震なんかがあると蓋、落ちてこないですかね。
蓋、重いですけど。

たまたまそのとき下にいたら、不運だったってことで。でいいのかな?

やはりこの地の治水との戦いは厳しかったのでしょうね。

さて、前をみると進入禁止の標識が近づいてきます。一方通行の出口です。
その先の左手は垂直なコンクリート擁壁になっていて、擁壁の上が大穴小学校です。

が、その一つ手前の左のわき道の手前で足を止め、先ほどの階段の並びの塀が終わる手前の角に注目すると、

縁石になにやら意味ありげな切り欠きがあります。

なんだこれ。ミステリー?

深さもけっこうあって、雨水が溜まっていました。

縁石の強度が落ちるので意味なくこんな穴は用意しないと思うんですが。
ハシゴ式開渠のハシゴをかけるようにも見えます。鉄骨を差し込むような。

でも穴はこれひとつだけなんですよね~。

なにか大きな発見かも知れませんが、結局意味はわからず、です。

ちなみに道路の反対側は普通の家並みです。当然無関係。手がかりなし。
そういう家々ができる前の、何かなんでしょうか。

道路標識を差し込む穴なのかな、とも思いましたが、縁石の中心に立てますよね、普通。
わーからん。

さて、一方通行の出口は十字路になっています。
十字路の左手の道は相変わらず傾斜のある上り坂。

右手の道を見ると、家2件分がほぼ平坦で、その先が上り坂です。

谷津田の幅は川込みで25~30mほどだったのかな、と考えられます。

そして十字路を過ぎて一方通行に入り、最初の右の路地が注目ポイント。

家2件分入った先に、階段がありました。

おそらくこの道は、まだ谷津田もしくは湿地があった頃に作られた道なのでしょう。
車両はここまで。谷津田には階段を降りて行くように。という潔さが感じられます。
谷津田の向こう側は深くて小高い森でしょうから。

階段下からコンクリート擁壁までは目測で25m、といったところ。

さらにこの路地を階段の手前まで入り、右手を見やると、こんな砂利道が。
谷津田に降り立ったところはこんな風情だったのではないでしょうか。

合流点からここまでは周囲の土地より一段低くなった谷津田あるいは湿地があった、という大きな手がかりではないでしょうか。

あとは特に何かを発見することもなく、圧迫感のある垂直なコンクリート擁壁を左に見ながら、緩やかな傾斜の一方通行の狭目の道を進みます。軽トラが来ても緊張します。

大穴中央商店会の街灯が見える頃になると道幅もだいぶ狭くなり、側溝に乗らないと車も走れないくらいになります。

左の小学校の垂直なコンクリート擁壁も、この辺りまで来ると目線より低くなってきて、徐々に圧迫感がなくなってきます。緩やかな傾斜は続いているのです。

郵便局もある商店街に出ると少し道幅も拡がり、ほっとした空気になりますが、その先の交差点で緩やかな傾斜も幅の広い側溝も終わりを告げます。

あー、滝不動の駅前から来る道だー、知ってる知ってるー。

もはやなんの手がかりもないので、どこまでが南大穴川だったのか、については想像するしかありません。

先日、山さいがねが、を教えていただきまして、そのwebサイトを見ると、だいたい探索を終えたあとに机上で検証する、というパターンでしたので、ここはちょっと次の記事で真似てみようかな、と思います。

 

コメント

  1. 帰ってきた船橋市民 より:

    あーやばいな うちのすぐ近くをチェックされてる。^^;

    大穴南は少し前まで洪水があったそうです。
    今では木戸川への流れの抵抗が減ったのでそれも無いようですが
    まだ公民館等は土嚢が積まれてます。

  2. 帰ってきた船橋市民 より:

    小学校側は海抜にして26mくらいの最も高い地区(元は森)になります。
    おそらく半径数キロでも最も高いのではないかと。
    あの通りは大穴銀座とか言われてました(過去形?)。
    そこそこ小売店 飲食店が集まっては居るんですが今残っているのは郵便局隣接数件だけになってしまいました。

    開拓されて既に50年以上経ってますので空家多数、崩壊しかかっている杉板家屋もあり30年したらまた森に戻ってるのかなとも思うこの頃です。
    私も生きてはないでしょうが。

    ちなみにブログ主さんとほぼ同年代です。

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